芸事の世界に思うこと

その他

芸事の指導は言葉が優しくない。

昭和に比べれば言葉選びを慎重にしている先生は多いだろうけど、いまだに子供の習い事で「足が短いんだからもっとつま先意識しな!」と言っている場面に遭遇する。(バレエです)

身体的特徴を非難しているんじゃない。

『努力ではどうにもならない足の長さを、魅せ方や工夫という努力によって綺麗に見せることは叶う』

ということを先生は教えているし、子供も理解している。(もっと他に言い方があるだろうとは思うが、短いと言われた方がダイレクトかもなとも思う)

先生も中学生以上の子にそのような言い方が増えてくる。

幼児や小学校低学年では私は見聞きしたことないです。

厳しく指導を受けた子が泣いているのを見たことはある。

その子の親は「なぜあのように言ったのですか?」と先生に聞いていた。

その親は、先生からの説明をその子に伝えた。

その子は「なんで先生にそんな質問したの?先生は私のために言ってくれたのに!お母さんはもう見に来ないで!」

と言い放ち、お母さんはかなりのショックを受けていた。

先生と親にはない信頼関係が子どもとの間には成り立っている。

我が子がいるクラスでも指導中になかなか群舞が揃わなくて「チッ」っと舌打ちが入ることがあるとか。

でも子どもは気にしていない。

舌打ちされるほどパフォーマンスが美しくないと伝わっている。

舌打ちではなく言葉の方がやさしいと思うが、めちゃコスパがいいとも思う。

現場には現場にしか分からないものがあるじゃない?

子育てしてて朝から晩までワンオペしてんのに帰宅第一声が「もうちょっと片付けたら?」とか、家事がはかどらないからテレビ見せてるところに「見すぎ!」ってチャンネル変えるとか、定点カメラつけてお前に見せたろかと思うほどこっちの流れフル無視で乱す夫。反対に夫の職場に突如私が行って、もっとこうすれば?これはダメなんじゃない?ってケチつけたらキレ散らかすだろうに。(愚痴になった)

話それたけど、私は、子どもと先生の間に割って入ってはいけないと思っている。

他の習い事でも「この課題クリアできなければ発表会は無理だよ」と言われたことがある。

上手くないから出れないのは当然だ。

大人の世界で、この仕事ができなければ外すと言われてパワハラととらえる人は給料をもらう資格はない。

仕事ができない人材は会社の不利益だから。

舞台をよくするために、発表会を成功させるために、相手にかける言葉は指導であると思う。

先のバレエの話、もし先生が「足が短いから舞台には出さない」と言ったら。

これは差別であり侮辱。

先生という立場を利用して正当な評価ではなく処遇を決められる、それによって精神的苦痛を感じればパワハラでしょう。

発表会に出させないようにクリアできない課題を出されたら…

嫌がらせであり不適切。それを思い悩むようであればパワハラにあたる。

【パワハラとは】

①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすもの *あかるい職場応援団HPより抜粋

芸事だけではなく、スポーツの世界でも同じようなことがあるはず。

どんなに苦しい練習も、己に勝つこと、試合に勝つことなどを目標に耐えられる。

指導する側も、それを叶えてやりたいから厳しく指導する。

それがすれ違うこともある。

先生と子供の間に入らないかわりに、子どもとたくさん話しをする。

送迎の時に、今日どんな練習をしたか、どんなことを言われたか聞いてなくてもペラペラしゃべるが、その時に「どう思った?」という問いを必ずする。

練習をしたくないと言えば「じゃあ辞めていいよ」と言う。

辞めるわと返ってきたことは一度もない。

面倒な気分なだけだからだ。

でも、もしかしたら、好きなことのはずなのに気持ちが前に向かない時がくるかもしれない。

その時に何が原因なのか、その気持ちを共有できる関係性を築いておきたいと強く思う。

この先大人になって社会にでても、心の芯を話したくなるように距離感を考えていきたい。

うまくいってると思うからこそ、予想してない悲しみに親は後悔してもしきれないものなんだろうけど。

ちなみに私は自分の親に本心を言えない。

そんな関係性ではない、とは言い切れないし親は愛していると思っているだろうな。

でも、目と目を見て会話した記憶は叱られている時だけ。

そんな悲しい記憶は消してしまいたいけど、その思い出があるからこそ、自分の子供には普段から目を見て話そうって思える。

亡くなった宙組の生徒さんがどのような悩みを抱えていたかは本人しか分からない。親、姉妹にさえわからないことがあるかもしれない。それなのに赤の他人の週刊誌が事実を知っているだろうか。

24時間亡くなられた方のそばにいて、全ての感情を共有しているわけがない。本人ではない人の話を聞いて、さらにほかの人が文字にしたものに、事実が何%含まれているだろう。

さらにその週刊誌を読んだ個人的感想が誹謗中傷につながっていることに気が付いていない人たちの多さに寒気がする。また、週刊誌と逆サイドにいるような言動でご遺族の名誉を傷つけている人がいることにも虫唾が走る。

とにかく名前を出すんじゃない。

自分の心がどう感じたかはSNSで投稿しようが勝手だが、個人を特定できるような書き込みをする人はネットをする前に人付き合いとはなんぞやを小学生からやり直してきてほしいと思う。

パワハラはあってはならない。

人の命を奪う行為はなんであれ許されない。

劇団という組織が労働環境を整え、ひとりひとりが真っ当な判断力を維持できる生活を保つ責任がある。

職種によって差はあるだろうけど、特殊な職業だからこその管理体制は必要だった。

それがなかった環境でこれまで生きてきた生徒に、今までの責任を押し付けるべきではないし、部外者が責める権利もない。

劇団がすべての非を認め、これからはすべての生徒を守ってほしいと願っています。

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